ダンス・マカーブル 17
2008/05/03 Sat
「……う……っ」
身体を起こそうとすると、首のうしろに痛みが走り、呻く。
くらり、と曖昧な世界がまわって、額に手をやりつつ目眩を振り払うように首を振った。
その動きにさえ、全身が悲鳴を上げる。
苦痛に息が詰まった。
身体が冷え切っている。
しかし意識は、朦朧としていた。
「目が覚めてしまったようだね」
静かな声音を注がれて視線だけを動かすと、視界の隅に白を見る。
法服だ、とそれがなんの色であるのかを覚ったとたん、意識が一気に覚醒した。
横たわっていたのは、冷たいコンクリートの床だ。
すぐわきに見える、床からはえている黒く細い数本の鉄棒は、おそらく鉄格子のそれ。
「……教会に、牢獄かよ……」
皮肉な笑みを浮かべようとして、くちびるが引き攣れた。
またどこかが切れたのか、血の味が滲む。
床についた両腕には、鈍い痛みとともに赤黒い痣が巻きついていた。
それだけではない。痛みは、この身体をコンクリートに縫いつけようとするかのように全身を覆っていた。
けれど、Jは細長く息を吐き出すと、両手で床を押す。その反動でようやく身体を起こし、顔を上げた。
鉄格子を挟んだ正面に、見知らぬ男の顔を見る。
いや。見知って、いるのだろうか。
知らないはずだ。けれど、なんだ。知らないような気が、しない。
よくわからなくて、眉を寄せた。
すると、男はゆったりとした白袖を揺らしつつ、膝に肘をついてしゃがみ込み、
「ここがどこだかわかるかな」
すっきりと整った顔をやさしげに笑ませる。
するり、と袖から現れたその手指が、黒い革の手袋で覆われていた。
それが汚れひとつない白い法服にはひどく不似合いで、同時に、不快でもあった。
司祭の法服をきたその男は、遠慮もせずにこちらへと黒い手指を伸ばしてくる。Jが身を引いて拒むと、男は笑みを深めた。そして、
「ここはフロストロイド市にあるフィオナ聖教の総本山。その、地下だ」
「……スピネル、ドーム……」
「そう、通称スピネルドーム。セリーヌ大聖堂だ」
フロストロイド市は、蜥蜴籠街(リザードケージ)があるフラジルフラム市の川を挟んで南にある隣市。治安などに大差はないが、それでも教会の数だけは大聖堂の膝元だけあって、フラジルフラムとは比べ物にならないほど多い。
異端であると指をさされたならば、逃げ出すことはまず難しいだろう。
「女はどこだ」
唸るようにJが言うと、くつくつと男は喉の奥で嗤った。
「女とは、『死者の舞踏』のことかな」
「……どこだ」
「さあ、知らないね」
そんなことはどうでもいい、と放り出すように言って、男は立ち上がり法服の裾を払う。
「燃やされてしまうなら、燃やされてしまえばいい。あんなものに興味など、ない」
暗い、闇を抱えたような声音で吐き捨てるようにそう言った男は、黒い手指で鉄格子を撫でた。
ざわり、とそのとたん、肌が粟立つ。
悪意。
肌を撫でたそれがなんであるか覚ったと同時に、どろり、と目のまえで熱を加えられた飴のように、黒い鉄が熔け崩れた。
「おまえ……っ」
熔ける鉄格子をくぐって牢のなかへと入り込んだその男を、Jは瞠った瞳で見つめる。
この男は。
司祭などではない。それどころか、
「……魔術士、か」
魔術士なのか、と口にしたとたん、右の黒い手指に顎を掴まれた。
首を振ってその手を振り解こうとするが、見かけよりもずっと強い力で捕らえてくる手は解けない。
そして、息が触れるほど近くで、
「『ドロシー』は気に入ってくれたかな、『ジュード』」
微笑む。
しかし、その双眸はひどく冷たい硝子玉。
じっと見据えられると、その感情のうかがい知れない無機質さに、寒気さえする。
全身を取り巻く苦痛にわけの知れない不気味さが加わり、嫌な汗が噴き出した。
乱れた髪が頬に張り付く。
「おまえ、が」
「そう。僕が、だ」
答える魔術士がそのもう一方の黒い手指で、頬に張り付いた髪を撫でるようにかきやった。
不快に眉をきつく寄せたJは力の入らない腕で得物を探すが、当然、銃もナイフも教会に取り上げられてありはしない。
顎を掴む手に力を加えられて、全身の痛みに顔を歪めた。それでも、
「あいつを……どうするつもりだ」
「あいつ? 誰のことだ」
「……『死者の舞踏』」
『死者の舞踏』をどうするつもりだ、と重ねて問う。
すると、魔術士は影のなかに顔を伏せ、
「さっきも言ったはずだ。『死者の舞踏』に興味はない、と」
「な……?」
「いや。正確に言うならば、もう興味はない、だ。はじめこそ手に入れるつもりだったが……早い段階から、僕の興味は『死者の舞踏』から逸れていた。それよりも……」
それよりも、とそう言って、魔術士はゆっくりと影のなかから顔を上げる。
現れたその、双眸。
間近に見たその色に、心臓が凍りついた。
「お……まえ……」
喘ぐ喉から搾り出すように、それだけをようやく口にする。
見知らぬ男の、
見知った、顔。
「おまえにこそ、興味がある」
「……っ」
「よくできていただろう。僕がつくった悪夢のなかの……母は」
黄みの薄い金髪。
オリーブ色の、瞳。
目のまえにいたのは、法服の白を纏い、手指を黒に包んだ、
自分。


