鳳蝶の夢籠

オリジナル小説『グリモワール』シリーズを掲載しています。
ダンス・マカーブル 25



 意識のない『異端の稼ぎ屋』を運ばせ遅れてゴーストガーデンへとやってきた司教は、目のまえに広がる光景に言葉を失っていた。
 墓場に屍があることはおかしくはない。
 だが、その新しい屍は地中ではなく地上に累々と、しかもあきらかに異常なようすで転がっているのだ。
 普段は枯れたような色しか持たないこの場所が、いまは赤黒く染め上げられている。
 凄まじい死の気配に、満ち満ちていた。
 濃い血の臭いとそのあまりにも禍々しいさまに、司教とその従者たちは一様に胸を押さえて吐き気をもよおす。
 誰もそれ以上に、その場所へと近付こうとさえしない。
 弱い者は、早々に腰を抜かしてしまっている。
 しかし、ふと司教は、屍と立てないほどに怯えきった者たちのなかにあって、ただひとり、平然と立っている男の姿に気付いた。
 動物の皮を剥ぐことを生業(なりわい)としている、薄気味の悪い男だ。
 司教は眉を顰(しか)め、金糸で刺繍を施した白い袖で口元を隠しつつも、とっさに威厳を取り繕った。
 だが、この状況はなんだと声をかけようとして、そういえば、と思い出す司教だ。
 男は耳が聞こえない。視力も弱かったはずだ。
 しかし、気配を感じたのか、男が薄い布で覆った目を司教へと向ける。
 その足もとには、鎖で縛められ腕から血を流して気を失っている、恐ろしく美しい女の姿があった。

 『死者の舞踏』

 その姿を見たとたん、このありさまはその魔道書の頁を切り取ろうとしたことが原因なのだ、と思い至る。
 忌まわしきその魔道書を焚書とするまえに頁を切り取ってしまえ、と男に命じたのは司教だ。
 司教は立ち尽くす男に向かって、無言で左の袖を振った。
 気を失っているのなら都合がいい。これ以上の被害が出ないうちに頁を切り取ってしまえ、ということだ。
 男がふたたび手を伸ばし女に巻きつけられた鎖を引き掴んだのを見ると、司教は『異端の稼ぎ屋』を立てられた杭に張り付けるように従者たちに言いつけた。
 そのときだ。
 乾いた銃声が、赤黒く淀んだ空気を切り裂くように響いたのは。
 なんです、と司教が声を上げるより先に、右手に『死者の舞踏』の頁を切り取るための大振りのナイフを持った男が、倒れた。
 ナイフが宙に弾け飛ぶ間に、つづけて三発。
 陸に揚げられた魚が跳ねるように男の身体が跳ね、手足から血が噴いた。
 汚れた地面に新しい血がしぶき模様を描くと、そこにナイフが突き刺さる。
 しん、と静まり返ったのは、ほんの一瞬のことだ。
 つぎの瞬間には、すでにその場のおぞましい光景から怯えを植え付けられていた者たちが、狂ったように悲鳴を上げ蜘蛛の子を散らすように逃げ惑った。
 逃げるとちゅう足がもつれた者を突き飛ばすように、また別の者が逃げる。
 わけがわからなくなってしまったのか、来た道とは別の方向へと逃げて足を踏み外し、崩れた瓦礫の下敷きになる者。
 屍に足をとられ、血溜まりのなかに倒れこんで動けなくなる者。
 普段はカラスの鳴き声しか響かないそこに、悲鳴と叫喚が満ちる。
 とてつもない混乱だった。
 司教も、さすがに逃げ出そうとした。
 だが、できなかった。
 ぴたり、と後頭部に冷たく堅いものが押し当てられ、動くことができなかったのだ。
 背を蹴られて、地面に倒れこむ。
 短い悲鳴を上げた司教は自分を蹴り倒した者を振り仰ぐと、そのまま凍りついた。
「な……っ!」
 そこにいたのは、杭に張り付けられたはずの『異端の稼ぎ屋』。
 教会にいたころは『ジュード』と呼ばれ、教会から飛び出してからは『J』と名乗る男だ。
Jは、燃えるオリーブ色の双眸で、ひたり、と司教を見下ろしていた。
 あまりの怒りに、身体が震えている。
 引鉄にかけた指を、いっそ思い通りにしてやりたかった。だが、凄まじい意志の力で、それを押しとどめている。
「お、おまえは……!」
 ようやく振り絞ってそう言った司教の声に、す、と目を細める。
 杭に縛られる『異端の稼ぎ屋』を見、こちらを見て、どうなっている、と上げたその司教の悲鳴に、苛立った。
 司教へと向けていた銃口を自分の偽者へと向け直し、発砲する。
 まずは頬。
 つぎは、偽者を縛めているその縄へ。
 それからおもむろに撃ち尽くした他人の銃を捨て、腰のホルスターから自分の銃を抜いた。
 ずしりと手に馴染むそれを、改めて司教へと向け直し、
「……なにをしているか、わかっているのか」
 煮えたぎる腹の底から搾り出すように、言った。
 目の奥が痛むほどに熱い。
 身体を引き摺るようにして、瓦礫の山を駆けてきた。
 火炙りになどさせてなるか。
 炎のなかに入れられるまでに、なんとか助け出したい。
 その一心だった。
 だというのに。
 ようやくたどり着いたこの場所で見たものは、それだけ許されないものだった。
「どうしてあいつが、あんな目に合わされなくてはならない?」
 鎖で縛められた、女。
 おのれの血に塗れて、まるで物のように地面に転がされていた。
 女が纏っていた生地の薄い黒いワンピースは裂かれて、白い肌が剥き出しになっている。
 あまつさえそのひやりと冷たく白い肌は、無惨にも剥ぎ取られる途中。
 いつもは強気な金の瞳が白い目蓋の下に隠され、それが気を失っているというのにひどく震えて見えた。
 内臓と漆黒の羽根を撒き散らし、地面に落ちているカラスの群れ。
 血溜まりのなかで、恐怖に顔を歪ませて絶命している者たち。
 それは、女が望んだことではないはずだ。
 なぜなら死体を操るのとそれとでは、わけが違う。
 奪いたくないものを奪う、おのれの力。
 どれほどに恐ろしかっただろう。
 どれほどに、悲しかっただろう。
 だというのに、まだ『死者の舞踏』の頁を欲しがるとは。

 許せなかった。


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